脳細胞が日に日に、何万個も破壊され、しだいに記憶が薄れ、ボケの症状が現れるというのは、身内の者にとっては遣り切れないことだけれど、人間が死を迎えるための準備なのだ。そうして人間は死への恐怖から救われ、安らかな永久の眠りに就く――ということも、小夜子は母親の介護を通じて知った。
内田康夫「軽井沢殺人事件」より引用
こんにちは、アラサー女の雪だるまです。
主人公の小夜子が亡き母親のことを思い出しているシーンの文章です。
内田康夫さん著書の「軽井沢殺人事件」はサスペンス小説ですが、思いがけずこんな文章に出会いました。
ストーリーの中では軽井沢という土地が持つ独特の雰囲気の様なものを感じることが出来る作品で、事件の内容はもちろんですが、軽井沢の神秘性に触れることが出来る作品でした。
この文章と出会った時の心情
認知症や老化等により、ボケの症状が現れると周りの者としては本当にショックですよね。
それが自分が慕っていた人なら尚更です。
その存在は私にとっては祖母でした。
小さい頃からよく祖父母の家に遊びに行っていました。
祖父母の家へは車で行ける距離なので、小さい頃は月に3~4回は母に連れて行ってもらっていました。
祖父母は私たちのことを可愛がってくれてました。
特に私は祖父母の家で泊まるときは、祖母の布団で一緒に寝ました。
夜怖くて一人でトイレに行けない時は、祖母を起こしてついてきてもらっていました。
遊びに行くときは、よく、お饅頭やお赤飯を作って迎えてくれました。
私や姉、妹も祖母と一緒にお饅頭を作ったこともありました。
母や伯母たちは、時々祖母に愚痴をこぼしていましたが、私にとっては良い祖母でした。
しかし、私は中学、高校、大学になるにつれ、祖父母の家へ足運ぶ回数は減っていきました。
私が社会人になり数年が過ぎたとき、祖母がボケの様な症状になり、すごくショックを受けました。
私の祖母の場合は正確にはボケではなく、統合失調症のような症状でした。
統合失調症とは比較的若い時に発症しやすいので、最初は認知症やボケなのではと伯母は思っていたそうです。
ただ、検査すると認知症には該当せず、どうやら統合失調症のようだと判断されました。
ボケとは違いますが、そこから祖母は人が変わってしまったようになりました。
幻聴が聴こえるようで、怖がっていました。
祖母が一人で部屋にいる時に、私が様子を見に行くと泣いている祖母の姿がありました。
幻聴が怖かったのか、自分が変わっていくことが怖かったのか。
私はただ祖母のそばにいて、手を握って話を聞くことしかできませんでした。
今は薬の効果か、祖母は精神的に落ち着いています。
病気の初期こそは幻聴の恐怖で辛そうに見えましたが、今は怖がっている様子は全くありません。
ただ、昔と比べると簡単な会話しかできなくなり、料理もできなくなり、祖母の老化を感じます。
時々私のことも分かってるのかな?と疑問に思う時もあります。
最初こそ昔と比べて衰えてしまった祖母にショックを受けましたが、この文章に出会ってから、本人のためなんだと思うようになりました。
脳細胞が日に日に、何万個も破壊され、しだいに記憶が薄れ、ボケの症状が現れるというのは、身内の者にとっては遣り切れないことだけれど、人間が死を迎えるための準備なのだ。そうして人間は死への恐怖から救われ、安らかな永久の眠りに就く――ということも、小夜子は母親の介護を通じて知った。
内田康夫「軽井沢殺人事件」より引用
祖母が幻聴が聴こえて怖がっていた姿を思い出すと、こう思う事は正しいことではないかもしれませんが、もう恐怖を感じないでほしいと私は望んでしまいます。
最後に
ボケは死への恐怖からの解放という考え方が、私にとっては青天の霹靂でした。
それまで自分の悲しみや悲観的なことしか考えていませんでしたが、本人の立場から言えば恐怖から救われることなのだと、それならば仕方のないことだと抵抗なく、すっと腑に落ちました。
高齢社会で介護で辛い方もいらっしゃるかと思いますが、ちょっと違った視点を持つだけでただ辛いだけとは、気持ちが違ってくるかもしれません。
身内の衰えに悲しむ方や介護に携わる方にとって、少しでも参考になればと思います。
では、最後までお読みいただきありがとうございました。
追記 2020年8月16日
祖母は先月他界しました。
本人の希望でずっと自宅療養をしており、亡くなる数日前から寝たきりになり、管(くだ)をつないで何とか命を繋いでいました。
身体を動かすこともできず、意識も朦朧としているような表情で、呼吸するのが難しいのか息をするときの呼吸音が苦しそうでした。
人間身体を動かすことができなくなっても、最期まで耳は聴こえているようです。
祖母が亡くなった後にそのことを知りました。
私は今まで祖母に過度な期待を抱かせないように彼氏がいることを黙っていましたが、付き合っている男性がいることを報告すると、何か言おうと口をパクパクさせていました。
その時は言っていることが通じたのか、呼吸が乱れただけだったのか分かりませんでしたが、今では通じていたんだと嬉しく思います。
祖母はずっと私が結婚するのか気がかりに思っていたようで、幻聴が聴こえる時には「私と誰々が結婚する」と聴こえると言っていました。
それを聴くたびに、安易に彼氏がいると言うと結婚を期待されてしまうと思い黙っていましたが、最期に伝えることができて良かったと感じています。
もし、意識がなくても最期まで聴覚機能は働いていますので、皆さんも大切な人の死が近づいている時には声をかけてあげてください。
では、追記までお読みいただきありがとうございました。
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